細菌感染症難治化の要因―バイオフィルム―


 私たちの周囲は細菌だらけです。それらの細菌ははだかの状態で存在するわけではなく、乾燥や紫外線などに負けないように大半が人間のように服を着たり家を建てて暮らしています。この服や家のことをバイオフィルムといいます。バイオフィルムは微生物により形成される構造体で菌膜ともいいます。身近な例としては、歯垢や台所のヌメリ、水中の石の表面についている膜状のものなど、自然界にも広く存在し、基質と水があれば、あらゆる場所に作られています。バイオフィルム内では嫌気性菌から好気性菌まで様々な種類の微生物が存在し、その中で様々な情報伝達を行いながらコミュニティを形成していると考えられています。あるときは、バイオフィルムを形成するのに協力したり、自分にとって迷惑な細菌を殺菌する物質を分泌したりして生活をしています。大気や水中を遊離した状態で移動、増殖している細菌はお互いの間隔があいていてコミュニケーションをとる必要もないので単に増殖することのみにエネルギーを費やせばよいのですが、バイオフィルムのなかで暮らしているとお互いの間隔が狭く密集しているために秩序が必要になります。そこで細菌は細胞密度感知分子(quorum sensing molecules)を分泌し、同種の細菌間で情報をやりとりし秩序を保っています。つまり、遊離の状態の細菌とバイオフィルム内で暮らす細菌は菌種が同じでも性格が異なる可能性があります。当初、バイオフィルムは小さいものですが、少しづつ大きくなり、立派な柱をもったマンション様のものに成長します。しかし、マンションではありますが、環境が悪くなるとバイオフィルムが細菌のえさにもなり、またプレハブのようにたたんで引越しできたり、また他の細菌にのっとられたりするそうです。バイオフィルムの組成はその場所の環境や細菌の種類で千差万別だそうです。バイオフィルムはその中に藻類や原虫なども入り込み、特に自然の河川などでは水の浄化などに貢献しているようですが、医学界、特に感染症領域では困った存在です。我々人間の体内でも動きがあって白血球などが見張れるようなところでは細菌がのうのうとバイオフィルムを成長させることはできません。動きがなくなったところに細菌が存在するとバイオフィルムが形成されます。例えば、唾液の流れが悪い歯のすきまには歯垢というバイオフィルムができますし、膀胱カテーテルなどの医療材料が留置してあると容易にバイオフィルムが形成されます。中心静脈栄養カテーテルの検討では3日でバイオフィルムが形成されることが報告されています。また気管支では気管支拡張症などの構造の変化が生じ、空気や粘液などの流れが阻害されるとバイオフィルムが形成されます。
 バイオフィルムは以下の3点でわれわれ人間に有害作用をもたらせています。
 @ 細菌の住みかとなり、時々細菌が放出される。
 A 細菌に対して抗生剤や消毒剤が効きにくくなる。
 B バイオフィルム自体が人体に悪影響を及ぼす。
これらの悪影響について考えていきましょう。
 バイオフィルムが細菌の住みかであることは説明してきましたが、例えば、口腔内のバイオフィルム、すなわち歯垢の細菌が血中に時々侵入し、動脈硬化などの慢性疾患に関与するという説もあります1)。動脈硬化の原因のどれほどの割合に関与しているのかはともかくとして、場所が口腔内ですので比較的対処しやすく、こまめな口腔ケアで解決できるでしょう。また、バイオフィルム形成の場所となる体内異物、例えば尿道カテーテルなどの医療器具をなるべく長期間留置しないというは努力はいまや常識です。
 一旦、バイオフィルムが形成されると感染症が治りにくくなります。難治性感染症といわれます。場合によっては抗生剤に対して1000倍の耐性をもつことがあります。従来、難治性になる原因としては抗生剤がバイオフィルム内に浸透しにくくなる物理的原因が考えられてきました。しかし、現在では、バイオフィルム内の菌自体が変化し、薬剤耐性になっていることが主因と考えられています2)。バイオフィルム内の菌は抗生剤を菌の中に侵入しようとする抗生剤を菌体外へくみ出す能力を獲得したのです。ここで注意しなければならないのが一般細菌検査における薬剤感受性検査です。喀痰にしろ尿にしろ我々が検査しているものは遊離状態の菌であり、バイオフィルム内の菌とは別の薬剤感受性を呈しうるということです。遊離の菌にもバイオフィルム内の菌にも効く抗生剤とバイオフィルム内の菌には効かない抗生剤があることも解ってきました3)。しかし、現在、バイオフィルム内の菌の薬剤感受性を知る方法はありません。ではどうしたら良いでしょう?我々に出来ることは治療がうまくいかない時は手元にある薬剤感受性検査の結果を疑ってみて、最新の医学情報を調べてみることしかないでしょう。
 またバイオフィルム自体が人間に悪影響を及ぼすことも知られています。びまん性汎細気管支炎は拡張した気管支のなかにバイオフィルムが形成され難治性感染症となる病気ですが、患者さんの血液からバイオフィルムの材料の抗アルギネート抗体が検出され、気管支で抗原抗体反応がおきて炎症がより重篤になることも知られています4)
 以前からクランベリージュースが尿路感染予防に飲用されていましたが、これは抗バイオフィルム効果によるものであります。抗バイオフィルム剤は医学以外では上水道関係では実用されているものがありますが、医学関係では開発途上です。先に記載した細胞密度感知分子を阻害することで細菌はバイオフィルムを形成できなくなることがわかっておりここが抗バイオフィルム剤開発のターゲットになっています。現在開発されているものは、細菌が分泌する抗バイオフィルムシグナルの合成2)や、カルシニューリン3)で研究がすすめられています。現在、抗バイオフィルム剤として実際使用可能であるのがマクロライド系抗菌剤です。緑膿菌とインフルエンザ菌のバイオフィルム形成を抑制するのはわかっていますがその他の菌については不明です。
 細菌は生き延びていくために日々進化しており、細菌感染症の治療がうまくいかないときは、バイオフィルム形成をふくめてなんらかの難治化の要因があるはずなので患者さんの状態をもう一度観察することが肝要だと思われます。
平成23年9月20日

参考文献
1 ) 奥田 克爾 : 口腔内バイオフィルム感染症の特徴 . 顎咬合誌 2003 ; 23 : 132- 139 .
2 ) 水之江 義光 : 細菌の形成するバイオフィルム . 感染症学雑誌 2011 ; 85 : 395 - 396 .
3 ) 掛屋 弘 : 慢性真菌感染症、最新の知見 . 感染症学雑誌 2011 ; 85 : 333 - 339 .
4 ) 林 志文 : Alginate 免疫複合体のBALF 細胞におよぼす影響にかんする実験的検討 . 感染症学雑誌 2001 ; 75:20 - 29 .