アシネトバクター報道について


 本日も新聞の一面は多剤耐性アシネトバクター院内感染でした(平成22年9月9日、熊日新聞)。ここ数日同様の記事が一面に記載されております。帝京大学で多剤耐性アシネトバクター菌が53人に感染しうち4人が死亡したというものです。詳しい内容は記載されておらず、また、この事件?の教訓などの記載もありません。一般のひとがこの記事を読んでも不安になるだけでしょう。
 この問題について考えてみましょう。

 細菌は全てグラム染色で陰性か陽性かに分類されます。アシネトバクター菌はグラム染色で陰性となるグラム陰性桿菌です。グラム陰性菌は大腸菌や緑膿菌などが含まれ、グラム陽性菌と異なり外膜を有するため薬剤や消毒薬などの化学的作用には強い特徴があります。つまり多剤耐性となりやすいのです。その反面、ペプチドグリカンという壁が陽性菌より薄いため物理的作用には弱く、特に乾燥には弱く、2〜3時間の乾燥で大半が死滅してしまいます。だから院内感染対策では徹底して水周りの対策をします。緑膿菌などがこの代表です。しかし、グラム陰性菌なのにアシネトバクター菌は乾燥に強く、3週間も生存していたという報告もあります1)。グラム陰性桿菌は日常の水周りにはどこにでも存在します。加えてアシネトバクター菌は乾燥状態でも存在するため日常環境には普遍的に存在する細菌なのです。健常人の皮膚の53%に存在したとする報告もあります
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 アシネトバクター菌は30種類以上が存在しますが、人に感染をおこすのはほとんどAcinetobacter baumannii のみです。アシネトバクター菌は抗生剤耐性になりやすく、病院内環境から分離される菌の80%以上がβラクタム剤耐性です。つまり、病院内には普遍的に抗生剤が効かないアシネトバクター菌が存在し、患者さんの皮膚にも存在しているわけです。だから、われわれ医療従事者がいかに努力してもこういう細菌の院内感染をまったくなくしてしまうのは不可能なのです。また人間はかなりの確率で感染症で死亡する生物なので、運悪く耐性菌で亡くなるかたも一定の確率で起こりうることなのです。

 それでは、今回の帝京大学病院の問題はどこにあるのでしょう?。問題は集団感染をおこしていることです。大きな病院のどこかのシステムに問題があるのです。平成21年1月に福岡大学病院で多剤耐性アシネトバクター菌の院内集団感染がありました。このときの原因は気管内挿管後に使用したバイトブロックでした。原因判明後、院内感染は終息し、私たちもまたそれを大きな教訓にしました。

 薬剤耐性菌は感染症を専門にする医師、看護師をはじめとする感染制御チームの地道な努力で本邦ではむしろ減少しつつあります
2)。一方、薬剤耐性菌の問題は病院における抗生剤の多用〜乱用のみならず、家畜や水産業界にも関係のあることなのです。代表的な例として豚や鶏などに集団で抗生剤治療するために生じたカンピロバクター、サルモネラ、大腸菌などの抗生剤耐性の問題です3)。薬剤耐性菌の責任を病院のみにおしつけず、地球環境全体の問題としてとらえる必要があるのです。

 新聞の見出しに耐性菌という言葉が登場したのは1956年12月でした。その当時より院内感染は恐れられ、社会不安となりました。しかし、報道各社は次第に冷静な対応をするようになり、「細菌感染症は撲滅する対象ではなく上手につきあっていくことが重要である」旨を日本化学療法学会で発表しました(朝日新聞、中村通子)
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 帝京大学には警察が介入するとの憶測もあり、社会不安をあおることによりさらなる医療崩壊の進行が危惧され、冷静な報道、対応をしてほしいと切に願っております。
                  
                        平成22年9月11日

参考文献
1) アシネトバクター感染症について
http://www.city.yokohama.jp/me/kenkou/eiken/idsc/disease/acinetobacter1.html
2)荒川 宣親ら : 薬剤耐性菌に関する最近の話題 . 化学療法誌 58 増刊 : 110 − 114 , 2010.
3)田村 豊ら : 耐性菌をめぐる諸問題〜医療のみの問題か〜. 感染症誌 84 増刊 :
167 − 171 , 2010.
4)朝野 和典ら : 耐性菌への総合戦略 . 化学療法誌 57 増刊 : 96 ? 100 , 2009 .